「自己責任論」はアジア的?西洋的倫理観と自業自得

ウチの日常

「自己責任」という言葉は、もちろん英語にも存在はします。

「You are on your own」とか「on one’s own responsibility」みたいな言い方をします。

精密機械のウラなんかに「開ける場合は自己責任(at your own risk)で・・・」という感じで書いてあったような気がします。

日本語の「自己責任」に比べると、なんとなく回りくどい言い方にも感じますね。

だいたい日本語でも「自己責任」なんて言葉を頻繁に使うようになったのは最近ではないでしょうか?

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欧米の「自己責任」?

ある国際的な調査によると、「自力で生活できない人を政府が支援する必要性がない」と考えている人の割合が、断トツに高い国が日本であるという結果があるそうです。
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「自己責任論」が進む日本。本当に自分には関係無いものなのか?

日本は外国に比べて自己責任論者が多いようです。

あまり欧米を持ち上げる気は無いのですが、欧米のお金持ちはよく、チャリティーパーティーをやったり、何トカ基金とか作ったり、社会に貢献しようとする人が多いように感じます。
(税金対策とも言われていますが・・・。)

また、施しを受ける人も、あまり躊躇せず受け入れているように思いますね。当たり前のように。

アメリカやヨーロッパでも貧困は大きな問題ですが、個人や教会が貧困者を助けることも多く、助けない人こそ「強欲だ!」なんて非難されたりするのです。

西洋的(キリスト教的)価値観では「強欲」は、大きな罪ですから、それが怖くてやっているのかもしれませんが・・・。

日本は厳しい?

しかし、日本では貧困だけではなく、病気や事故でさえも、「自業自得だ!」とはき捨てられる場合が多くあります。

特に最近では、落語家の桂春蝶さんが「自己責任ツイート」で炎上したり、松本人志さんが、ネットカフェ難民に「ちゃんと働いてほしい」と言ったりとかで、盛り上がってますね・・・。

ただ、コレが「正論」として当てはまる人だっていますよ。

遊んでばかりで、お金の無い「自業自得」な人だっていますよ。もちろん。

しかも、イマドキは遊んでるだけの人にだって「新型うつ」とか「ギャンブル依存」とかの病名が付けられたりしますから、納得いかない人だっているでしょう。

松本さんの「ちゃんと働いてほしい」というコメントだって、路上ライブで生計を立てる男性を紹介したビデオに対して言われたコトです。

同じように感じている人だっているのです。

「自分はマジメに頑張っているのに!!!」と思っている人だって多くいるコトでしょう。

努力は必ず実るのか?

では、考えてもらいたいのですが、「マジメに頑張っている」人は必ず成功するのかというと・・・、どうでしょう?

ずいぶん前ですが、お笑いトリオの「安田大サーカス」の団長は、M1グランプリに敗退したときに、このようなコメントを残しました。

「残った人間はオレたちよりも、もっと稽古をしたんだ。オレたちよりも努力して、もっと頑張ったから、次に進めたんだ。それだけのコト。」

彼の本意はわかりませんが、ソレが事実でないという事は、ある程度の大人であれば、もう知っていますね。

誰もが練習さえすれば、ボクシングのチャンピオンになれる!!なんて事は無いのです。

お笑いの世界でも同じですし、ビジネスの世界でもそうなのです。

マジメに頑張った人が必ず成功するとは限らないのです。

もしかすると、団長さんはソレを知った上で、自分を納得させるために言ったのかもしれませんが・・・。

自業自得論

日本人というのは「自業自得」を信じる純粋な人が多いようですが、世の中そんなに単純でないのも事実なのです。

お金もちの人に「あなたは運が良かっただけだよ」なんて言うと怒られるでしょうが、実際にそんな人だって大勢います。

同じように、貧乏な人に向かって「あなたたちはもっと努力するべきだった」という人は・・・、まあ、世間知らずなのです。

アリとキリギリス

「よし、わかった。運が悪くて貧困に陥った人は助けるとしても、努力しなかった人間を助ける必要は無いだろう?」

・・・という人もいるでしょう。

たとえば、よく聞く童話の「アリとキリギリス」のお話を思い出してみましょう。

夏の間、アリたちは冬の食料を貯めるために働いていましたが、キリギリスはバイオリンを弾いて遊んでいました。

冬になり、キリギリスは食料を探しても見つからなくなったので、アリたちに食料を恵んでもらいに行きました。

するとアリたちは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまいましたとさ・・・。

「あれ?そんな最後だっけ?」と思うでしょ?

我々のよく知っているパターンでは、最後は「慈悲深いアリたちがキリギリスに食料を恵んであげて、キリギリスが改心する」というお話でしたよね。

一説によると、我々のよく知っているほうのエンディングは、後に改変されたもので、オリジナルはキリギリスが餓死する方だそうですが・・・。

倫理観

では、なぜ童話「アリとキリギリス」は、そのように改変されたのでしょうか??

それは簡単です。

改変されたパターンのほうが「美談」になるからなのです。

そちらのほうが現代の倫理観にあっているのです。

自分たちが正しいから、間違った方は『餓死』してもかまわないというのは、現代の倫理観からすれば、野蛮なのです。

もちろん、「アリとキリギリス」は西洋の童話ですから、その倫理観は西洋的です。

もし我々がソレに共感するのであれば、我々も西洋的倫理観を持っていることになります。

時代と共に変わって改変されてきた『西洋的倫理観』に我々日本人も共鳴しているのです。

もしかすると、中国を含むアジア諸国では「キリギリスは餓死するべき!」と思う人が多いかもしれません。

ただ、元ミュージシャンの僕にとっては、上手にバイオリンを弾くには、まあまあの努力と練習が必要だろうなあ・・・なんて思いますが・・・。

現代社会は厳しい

しかし、現代社会は一時期よりも、厳しさを増しているのも事実です。

弱肉強食が進み「間違ったヤツは餓死してもかまわない!」という考えの人もいるかもしれません。

ただ、私たちの住む日本には「明日はわが身」という訓戒が、昔から残っています。

遊んでいる(ように見える?)人が、突然お金持ちになって、そんな人たちから施しを受けなければならないような立場になるかもしれないのです。

そんな場合になっても、気持ちよく助けを受けられるように「貧困は自業自得だ!」なんて言わず、心に余裕を持つのが良いでしょうね。

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