日本文化の『スケベ』と白人文化の『スケベ』はナニが違う?

国々の違い

アメリカの成人映画では「嫌がる女性を無理やり乱暴をする」という設定はタブーなのだそうです。

なので、出演する女優さんたちは同意があることを示すため、「ノー」と言うことを避けて、必要以上に「イエス!」と何度も叫ぶのだそうな・・・。

事の真相はよく分かりませんが、前にも書きましたように、アメリカ人は『スケベ』です。

ドラマや映画なんて見ていると、酒飲んでエッチして、ドラッグやってエッチして、もうそればっかりです。いや、ホントに。

そういうのが出てこない作品を探すほうが難しいくらいで、ディズニー映画だって、最後はお姫様と王子様のキスシーンで終わってたりします。あのあと2人が何してるかなんて大体想像はつくのです。

ただまあ、そう言ってしまうと「日本人もそうだろうし、世界中の人間はそうだろう」と思う方もおられるでしょう。僕もそう思います。

しかし、最近ちょっと気になる言葉がアメリカのニュース(特に芸能)でよく出てくるのです。

それが「依存症」

日本では、最近なにかと薬物の依存についてのニュースが騒がれていますが、アメリカでは○○依存症というのはピンからキリまでありまして、結構いろんなモノに依存している人がいたりするのです。

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依存するアメリカ

その中でも、なぜか多く耳にするのが「性依存症」。

例えば、R&Bシンガーのエリック・ベネイ。


この歌ヒットしましたね。懐かしい。

彼はハリウッドで最も成功した黒人系女優と呼ばれているハル・ベリーと離婚する際、自分が依存症である事を告白しました。

僕だってハル・ベリーが奥さんだったら性依存になってしまうだろうとは思いますが、彼の場合は他の女性たちにみなぎる精力を費やしていたようで、それが離婚の原因となったようです。

あと、有名なのはチャーリー・シーン。

この人の武勇伝はもう皆様ご存知ではあると思いますが、もう男女分け隔てなかったとも言っていますので、大変なものです。

しかもHIVにも罹っていたということで、もう薬物依存よりもタチがわるく、むしろコッチを逮捕してもらいたいと思うほどです。

ただ、この「性依存症」の症状の一つに「その事ばかり考えて、仕事や勉強が手に付かない」というのがあるのですが、コレってまあまあ普通どのような男性(女性も?)もそういう経験や時期はあったりはしないものでしょうか?

僕が中学生の頃なんて、ただ相手がいなかっただけで「もう頭がおかしくなったのでは?」と思うほど一人で悶々としていた事だってありました。若い男の子はそんな時期があったりするのです。(僕だけですか?)

でもやっぱり、あんまりハンサムだったりとか、お金持ちだったりすると、相手にも困らないでしょうから、依存症にもなったりするのでしょうね。

・・・じゃあ僕は安心かなあ・・・。

白人文化下の『スケベ』

僕は一度、アメリカとヨーロッパの『性』に対する考えの違いについて書いたことがあります。

そのときの僕は、アメリカは『肌の露出』と『子供達への教育』はヨーロッパに比べて、極めて保守的であると結論づけたわけですが、同じ白人文化(キリスト教文化)なのにココまで違いがあるのには、僕自身にとっても驚きではあったのです。

だいたい『性依存症』の定義についても、あんなに厳しすぎるのは、アメリカの保守的な『性』に対しての考えのせいであって、あまり抑え過ぎるのは逆効果なのかもしれません。

しかも、保守的であるはずのアメリカ人のほうが、一度道をそれてしまうと、ヨーロッパの人達なんかよりも、よっぽどハジけてしまうように思えてしまうのは、何か問題があるようにも感じます。

ただ、アメリカやヨーロッパの白人文化が、日本のソレとは「やっぱり違うなあ」と感じる点は、彼らは『性教育』を子供たちに教えるもっと前に、男女間(または同性間)の”ロマンス”を教えるのです。それも徹底的に。

先にも例に挙げましたディズニー作品でも、子供用のお話であるにも関わらず、必ず男女のロマンス的要素はあるわけです。

なので、白人文化圏の子供たちは、小さい頃から『恋に恋している』状態でして、もちろんのこと『スケベ』に育つわけなのです。

日本との違いとは・・・

それに比べると、日本の子供用といわれる作品は「しずかちゃんのお風呂シーン」はあっても、ロマンス的な要素で言えば、少々色気がない感じはします。

日本では、あまり子供たちに「恋愛とは・・・」みたいなことを教えたりはしませんが、小学五・六年生になって突然「性とはこういうモノだ!」なんて事を教えたりしますので、恋愛のロマンスよりも「性」そのものに興味を持ってしまい、おなじ『スケベ』でも、西洋とは方向性が違うわけです。

その理由からか、成人用映画(いわゆるAV)なんかも、日本のモノと西洋のモノは雰囲気が違いまして、西洋のモノは「ラブロマンス映画」の延長上であり、日本のモノは「人体の不思議」とか(良く言えば)医学的な追究が根底にあるような気がします。

もちろん白人文化の教育も良いことばかりではありません。

彼らは小さいころから「そのうち恋に落ちて・・・」と妄想はしているものの、全員が全員パートナーを見つけれるわけではないのです。それは自然の摂理ですからしょうがないのです。

相手の見つからない青少年達は、それだけでレールから外れてしまい、社会から疎外されてしまいます。

アメリカやヨーロッパでのコミュ障は悲惨なのです。

なので、どちらの文化も一長一短でして、どちらが良いというモノでは無さそうですが、人間が『スケベ』であるというコトは世界中どこも一緒ではあるようですね。

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