外国の食肉文化と『ウサギ料理』の思い出。

なれそめ的なお話

和食というのは、朝はご飯と魚と味噌汁、お昼はご飯と魚と味噌汁、もちろん夜もご飯と魚と味噌汁が定番でして、外国人からすれば、とても「レパートリーの少ない」メニューに見えるようです。(ほっとけ)

日本人がお肉を食べるようになったのは近代に入ってからと歴史では習うのですが、こんなに毎日食べれるようになったのはもっと最近になってからのようです。

そういえば、僕がまだ小さかった頃はコンビニなんてものは無く、今ほど手ごろに「から揚げ」やら「やきとり」やら食べれなかったようにも思いますね・・・。

外国では昔から頻繁にお肉を食べていたように私たちは思ってしまうわけですが、聞くトコロによりますと、やっぱり今ほどではないようで、妻のお婆さんなんか言うにはお肉が食卓に上がるのは週に2、3度くらいだったそうです。

でもまあ、それくらいの年代というのはまだ冷蔵・冷凍庫も無かった時代ですので、今のような流通網も無く、買ったらその日のうちに食べるようなものだったかもしれません。だとすれば週3お肉というのは、まあまあの贅沢でもありますね。

そういう理由もあってか(?)、我々日本人が干した魚を食べるのと同じように、彼らにはいろいろな「お肉の保存方法」というのがあったりするのです。

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生ハム文化


僕が妻の実家へ行った時、彼女の親戚が集まり、ちょっとしたパーティーなんかして頂いたのですが、そのときは宅配ピザなんかたのんだりしてたのですが、(イタリアにも宅配ピザってあるんですね~。)地下室から手作りのサラミを持ち出してきて「ピザにのせて食べよう!」なんて言うのです。

そのサラミというのが、見た目がなんか真っ白なカビの塊で、パタパタそれを落として皮を剝くと、中からはスパイスの効いた固めの挽き肉のようなものがでてきて、これがまたウマイ。

出来れば日本へ持ち帰りたかったのですが、カビてる上に生の肉ということで、飛行機には乗せられないとわかり、散々その場で頂く事にしました。ああウマかった。

あと、生ハムですよ。

あちらの方って「今日は美味しそうなメロン買ってきたから、ハム食べようか?」みたいな事を言うのです。

他にもリンゴやイチジクも塩っぱい生ハムにあわせて食べたりします。

最初、僕も抵抗はあったのですが、やっぱり現地の人はわかっていらっしゃいますね。生ハム・メロンって美味しいものなのです。

我々は「生ハム」という大きな括りで呼んでいますが、いろいろ種類はあるようで、パンチェッタなんていうものは見た感じ普通の豚バラ肉なのですが、脂身に甘味があって、これも美味しいのです。

やっぱり昔からお肉を食べている人達は、味もよく知っているのだなあと歓心したりしますね。

アメリカ人はウサギを食べない

また、ヨーロッパではウサギの肉も好まれて食されているようで、お肉屋さんではよく皮のヒン剥かれたウサギが横たわっています。

最初に見たときは驚きましたけどね。まあまあグロいですから。

ではアメリカはというと、アメリカには「バッグス・バニー」という有名なキャラクターがいますよね。

「バニー」と言うからにはやはりウサギなのですが、そのウサギを追いかける猟師さんのようなキャラクターが毎回のように出てくるのです。

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(こういう感じのキャラ。)

やっぱり食べるために追いかけているようなのですが、「アメリカの食卓にウサギが出てくるのか?」といいますと、まず出てきません。

昔はよく食べていたようですが、今はそうでもなさそうです。

アメリカ人は(田舎の人)趣味でよくハンティングなどして動物を撃ってくることがありますが、ウサギなんて小さいものは、最近はもう興味がないようで、ヘラジカなどの大きな動物を狙うことが多く、たまにそういった大きな動物の野生の肉が食卓に上がることはあります。(田舎では。)

でも、アメリカではウサギ料理というのはほぼ壊滅状態です。

お義父さんの手料理の思い出


僕が妻の実家へ婚約のご挨拶へ行ったとき、彼女のお父さんが作ってくれたのがウサギ料理でした。
味は、まあ骨の多い鶏肉みたいな感じでおいしく頂けたのですが、お察しのように、僕は彼女の母国語ができません。

・・・感想が言うに言えないのです。

彼女と彼女のお母さんはなぜか「男性同士なら気が合うのではないか?」と考え(余計なお世話)僕とお父さんは食事のあと2人きりでベランダで外を眺めていました。

だいたい言葉が通じても変な雰囲気になりそうなシチュエーションなのに、無言の男2人がヨーロッパの空の下、たまに目を合わせては相づちをうったり、横切る電車に指さしてみたりと、「時間というものがこんなに遅く流れることがあるのか」なんて、重たい空気の中考えていました。

実はそのお義父さん、その数年後「喉頭ガン」に侵されてしまいました。

「もう治らない」と聞かされ、僕たち夫婦は生まれたばかりの次女の顔だけでも見せてあげようと再びヨーロッパに飛び立ったのでした。

子供たちをつれて病院へ行くと表情はすっかり「おじいちゃん」になり、僕たちが帰国したあと数日後に彼は息を引き取ったと聞きました。

言葉がわからなくても通じることって結構あるもんですね。

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