一度、僕は「最近の洋コメディー映画は男の裸祭り」だと書きましたが、やはりそれは最近のトレンドのようでして、僕がまだ小学生の頃は洋コメディー映画というと「お色気学園モノ」というのが定番でした。
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僕と同じくらいの年代の方はその頃流行った映画などを覚えておられるかもしれませんね。
そういったコメディー映画はだいたいが低予算で作られていて、そこから大物俳優が発掘されるということはあっても、普通は小さい映画会社がホソボソと製作しているものでした。
そして、お父さんの喜ぶ”サービスシーン”も多く、テレビの「洋画劇場」なんかでは、よくお茶の間を凍りつからせていたものでした。
さて80年代の半ばにもなると、そんな低予算映画会社は「お色気コメディー」から「スプラッター・ホラー」映画の製作へと舵を切るようになり、B級ホラー映画というものが大量生産されるようになったのです。
しかし、作るものがB級ホラー映画になっても、お色気シーンは削られることは無かったのですが、コレには実は理由があります。
洋画のレイティング・システム
アメリカの映画にはレイティングというものがありまして、映画はそれぞれ下のように分けられます。
G-家族・子供用。
PG-子供用だけど大人と一緒に観ましょう。
PG13-13歳以下はダメよ!
R-17歳未満は保護者同伴。
このレイティングシステムは90年代後半に日本でも導入されましたが、それ以前から日本にも独自のものがあったそうです。
さて、映画会社の人たちはせっかく怖~いホラー映画を作ったのに、もしPGにレイティングされてしまったら、なんか怖くなさそうに思われてしまいます。
同じく、アクション映画やバイオレンス・ハードボイルド映画なんかもPGにレイティングされてしまうと子供用映画のような印象になってしまいますので、彼らはわざわざ「お色気」シーンを必要の無いところなんかにも入れたりするのでした。
これで迷惑を被ってしまったのは、中学生になったB級ホラー大好きBu少年だったのです。
B級映画はパラダイス
僕が中学校に上がる頃、他の家庭より一歩送れて、ビデオデッキという素晴らしい発明品がウチに届いたのでした。
「コレがあれば、気に入ったテレビ番組は録画できるし、レンタルビデオ屋さんへ行けば好きな映画が家で見れるんだぞ~!」と父も、また家族も興奮したものでした。
当時、レンタルビデオは一本¥1000くらいしていたように覚えています。
なので、選ぶほうも一所懸命に面白そうな映画を一つ一つチェックしていったのでした。
父が借りてきた記念すべき第一作目は「スペースバンパイア」という果てしなくB級なSFホラー映画で、私たち家族は胸を躍らせてテレビの前に座ったのですが、映画が始まるや否や、父も母も我々兄弟も、画面を観ながら凍り付いてしまったのでした。
この映画は全裸美女のバンパイアが次々と男性を襲っていくというえらく官能的な内容で、家族で見るには決して適さない作品ではあったのですが、ホルモン分泌の始まりかけていた年頃の僕には「B級映画はパラダイス」なのだと、B級ホラー映画観賞に目覚めていったのでした。
その当時にも日本には映画のレイティングがあったようなのですが、どうもユルユルで、中学生でも(アダルトもの以外なら)何でもレンタルできたのでした。
「毎週、毎週、変なビデオを借りてくる・・・。この子はもしかして変態なのではないだろうか?」と心配する母を尻目に、僕はB級ホラーと呼ばれるものを幾つも借りてきては、観賞していたのでした。
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衝撃の出会い・・・
そしていろいろなホラー映画を漁っていくうちに、段々と目も肥えていって、映画監督の名前で選んでみたり、俳優・女優で選んでみたり、いわゆる名作を選んだりと、一時期はホラー映画専門誌なんか買ったりしてのめり込んでしまっていたのです。
そうしているうちに、ほぼ自分と同年代の女の子が主演しているホラー映画にであったのです。
それが『フェノミナ』。
映画好きのファンの方々は、僕がこの作品を選んだのは、血の芸術家ダリオ・アルジェント監督の作品であったためと容易に推測できることでしょう。
それまで僕は、テレビに出ていたアイドルというものに何ら興味が無く、雑誌のグラビア写真などを見てワーキャー喜んでいる友人の気持ちなど一つもわからなかったのですが、初めてテレビ画面をみて「なんて美しい人なんだろう」とため息をついてしまったのでした。
そして彼女にあってみたいという不純な動機から、両親に「アメリカへ行って、ホラー映画の監督になりたい」と言ったのですが、
「バカなこと言うのはやめなさい」
と心を見透かされていたかのようにかわされてしまいました。
しかし両親は「アメリカへ勉強へ行く事自体は良いことだし、いい経験にはなるのだろう」と、留学の用意を手伝ってくれたのでした。
こんな日本の片田舎で、ある日本人の男の子の人生を変えてしまったとはジェニファー・コネリーさんも思ってはいなかったでしょうね。
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